Web 共済と保険2025年9月号
日本生命における生成AIの活用術とその取り組み(下)
日常業務を効率化し、企業の生産性を飛躍的に向上させる技術として、注目を集めている生成AI。幅広い業務での活用が期待されていますが、導入と運用にはさまざまな課題があります。
本記事は、前号(8月号)に引き続きお届けしています。前号では、日本生命保険相互会社における生成AI導入の経緯やその活用事例について、お話をお聞きしました。
今号は、生成AI導入における技術面での課題や職員の働き方の変化等について、前号と同様に同社 デジタル推進室 専門課長の佐藤 慶氏にお聞きしました。
3.技術的な側面
(1) 使用しているAIのプラットフォームやツールについて教えてください。
当社の「N-Chat」は、AIはアジュールオープンAI(Azure OpenAI Service、Microsoft Azureクラウドプラットフォーム上のAIサービス)、ソフトウェアは約2万人の内務職員が使っているニッセイ情報テクノロジー社の「MateChat(メイトチャット)」という製品を使用しています。ほかにも、業務に適したツールを複数使っており、Microsoft社の「Microsoft 365 Copilot」をはじめ、さまざまなベンダーのAIツールも試験的に使用しています。
(2) 技術導入において直面した課題や、それをどのように克服しましたか?
生成AI(以下、「AI」)は最先端の技術だったので、着手した当初は、AIがどういうもので、どのような課題やリスクがあるのかということを洗い出すことから始めました。AI特有のリスク等に対してPOC(proof of concept、概念実証)に早めに取り組めたことは、良かった点だと思います。
また、実証実験をするにあたり、既存の社内システムや保険事業に対して知識のあるニッセイ情報テクノロジー社とタッグを組んだチーム体制で、ゼロからすすめられたことも大きなポイントだと思います。
3年前に「金融データ活用推進協会(FDUA)」という組織が発足しました。この協会は金融業界におけるデジタル化が急速に進展する中で、業界各社の発展および個人のスキルアップに貢献することを目的として、金融機関とAIスタートアップ企業などが集まり、発足した団体です。金融機関の実務目線に立って、AIデータ活用の推進に取り組んでおり、当社も加入しています。ここでは、分野の垣根を越えて、金融機関のデータ活用の優良事例や、AIに関するユースケース(システム開発要件、開発シナリオなど)に関してオープンに意見交換ができます。こういう場を活用して他社の知恵も借りながら開発をすすめることができるというのは、これまでとは大きく異なり、課題を克服していくための近道であり、重要な役割を果たしています。
4.従業員への影響
(1) AIの導入により、従業員の業務内容や働き方にどのような変化がありましたか?
当社のN-Chatや、Microsoft 365 Copilotを活用した取り組みの他、ワークルールの見直し等も行い、2029年度までに内務職員の業務量を最大30%削減する計画を立案し、取り組みをすすめています。
現在は、全ての職員がこのAIを使って仕事をしているわけではなく、社内に浸透させているという変化の過程であり、目に見える大きな変化が起きているわけではありません。使った職員が業務の効率化や幅が広がったことを実感し、徐々に社内全体に影響を与え、業務内容や働き方に変化を与え始めているところです。
(2) 職員のスキルアップや教育に関する取り組みはありますか?
職員のスキルアップが一番大変な取り組みです。たいていの場合、新たな取り組みは、多くの人が自分には関係がないという認識からスタートします。このため、「N-Chat」へのサイト導線(リンク)を社内イントラネットのトップページに置き、職員に認識してもらうことから始めました。さらに、全職員向けの情報発信サイト「N-Chat NAVI」(図表1)や、食堂のメニュー表の脇に、「N-Chat」活用を想起させるサイネージ(電子看板)を置くなど、さまざまな形で認識の拡大に努めているところです。
「N-Chat NAVI」では、週に1回コンテンツを更新し、「N-Chat」の活用事例の共有等による啓蒙活動を行っています。配信は既に30号を超えており、週1回ペースでの配信は大変な作業ですが、アイデアブレスト(複数人が集まってあるテーマについて自由にアイデアを出し合う会議形式)で、「こういう使い方があるんじゃない?」などと言いながら、ニッセイ情報テクノロジーのメンバーも加わり、チームでコンテンツを作成しています。「N-Chat」を頻繁に使っている職員に聞いてみると、改めて気づかされる活用方法も多く、それが「N-Chat NAVI」で紹介する活用事例のためだけでなく、開発にもつながっていきます。
(図表1) N-Chat 情報発信サイト「N-Chat NAVI」
ただし、こうした取り組みをすすめても職員全体への周知にはなかなか至らないため、職層別・階層別研修などの機会を活用して、「N‐Chat」を積極的にPRしています。その成果もあり、2025年4月時点のアクセス数は大きく増加し、「N-Chat」に対する関心も高くなってきたという実感があります。
(3) 従業員と「N‐Chat」、それぞれの可能性を広げる取り組みや工夫について、教えてください。
「N‐Chat」の浸透と可能性を広げるために、「協業エントリー運営」という取り組みを行っています(図表2)。これは、所属や部門単位で、「『何かこういうところにN-Chatを使えないのか?』というアイデアをエントリーしてください」というもので、エントリーされた案件については、「このアイデアはいま扱っている案件と似ているから、できそうだ」というように、プロジェクトメンバーで議論しながら精査し、案件をすすめています。
具体的な例として、団体定期保険等の企業保険加入者向けの付帯サービスに「Nコンシェルジュ」というものがあります。このサービスに関して、「どういう契約をしている被保険者がこのサービスを使えるのか」、「付帯サービスの使用期限はあるのか」という照会が多くあるため、AIで対応できないかという提案がありました。これを受けて、過去に人がマニュアルを見て回答した内容をAIに転用可能かを試し、実装しました。
(図表2) 協業の流れ(イメージ)
実装後も業務ごとに活用状況を分析し、該当部署へフィードバックしています。使用状況が芳しくない場合は、「少し違うやり方をしますか?」、「使う人が知らないかもしれないので、告知しますか?」など、該当部署と意見交換を行っています。いろいろなことができるAIをどう使い、どう発展させていくのかという課題が導入後も常に存在しているため、浸透と発展に注力した取り組みを行っています。このように、要件定義をして開発すれば終わり、という従来のシステム開発とは大きく異なります。
導入以降、様々な種類のチャットボットが開発されており、その中には「AIにこんな指示をしてみたいが、よい指示の出し方はあるか」という疑問に答える「プロンプトメーカー」というチャットもあります。このように様々な用途に沿ったチャットボットを構築すると、「どれを使ったらいいのかわからない」といった意見をよく聞くようになりました。そういった意見を取り入れ、ユーザがお気に入りのチャットボットを登録できる機能を追加する等、社内ユーザの声を聞いて、アジャイルに画面の構成を変えることをおよそ3か月ごとに行っています。まさに、ユーザの意見を聞いて開発し、使ってもらい、また意見を聞いて、さらに改善していくという作業を続けていくため、終わりはありません。
また、AI機能の進化に合わせて自分たちもバージョンアップしなくてはなりませんが、それによってさらに用途も広がっていきます。
入社1年目の職員に、「せっかくデジタル推進室に在籍しているのだから、これまでの業務経験から何ができるかを考えて、一つくらいチャットボットを作ってみようか」と言ってみたところ、「保険用語もさることながら、『職員規程』等の専門用語もたくさんあって、社内用語が難しすぎる」という経験から、そんな「わからない」をお助けするチャットボットを開発し、社内に公開しました。同期の職員にも使ってもらい、フィードバックを受けながら改善する、というサイクルを繰り返し行っています。最近では、1年目の職員以外に経験者採用の職員からも、「こんないいものがあるなら私にも教えてくださいよ。入社したばかりでこの会社のことが、まったくわからないんです。」と、「いまさら聞けない」、「初歩的なことをきくのはちょっと・・・。」という様々な職員にも好評です。このように、1年目の職員の自由な発想を開発に活かすことができるのではないかと期待しています。
(図表3) 「1年目お助けチャットボット」
5. 実用にあたってのAIのリスクと対策について
(1)特にどのようなリスクに注意して対処されていますか?
AI特有のリスクは存在します。とりわけ、リスクとして高いのはハルシネーション(誤情報の生成)です。AIは必ずしも正しい回答をするわけではないので、とりわけお客様への影響があるもの、決算等重要な業務に関係する部分については、必ず社外有識者(消費生活アドバイザーや弁護士等)や上席者に確認しつつ、利用検討を行っています。
また、遵守事項には、個人情報・守秘義務を負っている他社の秘密情報等の入力は厳禁、「利用規約等でAI使用等が禁止されている他者著作物のプロンプト入力や、特定の著作者の作風に似せることを意図したプロンプト入力は厳禁」、「アウトプットの正誤および利用の可否は、必ずユーザ(人間)が判断」等があり、「N-Chat」を開いた際にこれらの遵守事項が必ず表示されるようにすることで、ハルシネーションや著作権、知的財産権の侵害等へのリスクに対する注意喚起を図っています。
(図表4) 「N-Chat」を開いた際に表示される遵守事項
(2)導入後、想定外のリスクなどありましたら、教えてください。
事前にかなり幅広くリスクを想定してシステムを作っているため、想定外の大きなリスクはありませんでした。しかし、次のような事例がありました。
Copilotにはメールを要約してくれる機能があるのですが、メールの内容には個人情報や機密情報などの入力を禁止している情報が含まれている場合があります。このように各システムに自分たちの意図していなかったAIの機能が、自然体で様々なシステムに組み込まれています。そのため、改めてリスクに対して幅広い視点を持ちつつ、弁護士への確認、法務部門やリスク管理部門と連携をとり、対策を整理することで、AIの使い方について社内付議(審査)をして対応しています。
こうしたリスクや使用上のポイントを洩れなく把握・管理することが、想定以上に、難しくなってきているのも事実で、今後とも適切なガバナンス体制が重要な課題です。
AIのモデルチェンジはよくあることで、ChatGPTの最新モデルが出ると、迅速に更新対応をする必要があります。社内だけでなく、増加する社外のサービスとの連携にも俊敏な対応が求められることも、これまでのシステム開発とは異なる点です。実際に新しい技術がますます増えているなか、AIが出来ることも増え、自動化できる幅が広がっているので、テクノロジーの進化に合わせてユーザ(職員)への啓蒙とアップデートも行い、相乗させながらすすめていくことが必要です。
6. 今後の展望について
保険業務において、これからも様々な領域でのAI活用にチャレンジしていきます。また、生産年齢人口が減少していくなかでも、会社を持続的に運営し、お客様に対してしっかりとした対応が行えるよう、AIの活用で貢献ができたらと思っています。
そのためには、当社職員全層がAIとフレンドリーな働き方を可能とし、保険業界で最もAI活用を進めている会社にしていきたいと個人的には思っています。
将来的には国内保険事業を永く守っていくことについて、AI活用を通じて社会貢献に取り組み、保険業界全体がAIのプレゼンスを発揮できるようにしていけたら、いいですね。
(了)
日本生命保険相互会社 デジタル推進室
専門課長 佐藤 慶(さとう けい)氏
~この企画は、日本生命保険相互会社様ならびにニッセイ情報テクノロジー株式会社様にご協力をいただきました。ありがとうございました。~
日本生命保険相互会社 デジタル推進室
専門課長 佐藤 慶(さとう けい)氏
~この企画は、日本生命保険相互会社様ならびにニッセイ情報テクノロジー株式会社様にご協力をいただきました。ありがとうございました。~